2019.04.30
soucutsの小言

soucutsの小言 vol.37

いよいよ明日から新元号『令和』がはじまります。

いわゆる今日は平成最後の日というやつですね。

平成元年は1989年だったので

僕にとっての平成は10歳から今日までの30年を生きた時代だったわけですが、

まさに青春ど真ん中を生きた一人として新しい元号を迎えるのはとても感慨深い。

僕なりに振り返ると

テクノロジーの進化による境目がなくなった時代だった思っていて、

先日、NHKで平成を振り返るインタビューで漫画家の東村アキコさんが近いことを言っていました。

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――平成という時代をひとことで表すと、どのような時代でしたでしょうか。

平成は「みんなが主人公になった時代」かなって思います。

2000年頃にカメラ付きの携帯電話が登場して「こういうのが出たよ~」って時に、

私は携帯電話にカメラ機能が付いている必要性は無いかなって思っていたんです。

「カメラはカメラ、携帯は携帯でいいのに」って。

その時はまさか、みんなが“自撮り”をして、少し前だったらブログ、最近だとツイッターやインスタグラム等の各種SNSにアップして、自分の日常や好きなものをどんどん世界中に発信するような時代になるなんて、夢にも思わなかったです。

それまではブログを書いたりするのって、ごく一部の芸能人や著名人の方で、

それを私たちが読んで、という形だったんですけど。

今じゃ「受け取る側」だった人たちも、みんなが「発信する側」でもある。

そんな風にどんどんどんどん境目がなくなってきているのを感じます。

それはやっぱり携帯電話の多機能化はもちろん、SNSの発達が大きいですよね。

そういう意味では私は楽しい時代だったと思うし、いい意味でみんながSNSを活用して、

国を越えてグローバルにつながって。

そうやってみんなが主人公になって日々を楽しんでるんじゃないかなって。

そこが一番の革命だったのかなって私は思っています。

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令和はさらなるテクノロジーやAIの進化で

様々なジャンルや技術や感情の境目がなくなっていく時代。

僕らは何に価値を求めていくのか。

そして働くとはどういうことなのかを考え直す時代に来ているんでしょうね。

やっていくぞ令和。